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1999年10月26日から2004年10月12日まで続けたマーケティング的コラムをブログとして復活させました。 大昔に会社の部門報に書いた文章も少々。
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いつかは取り上げなくてはならないと思っていた「厚底サンダル(冬は厚底ブーツか)」であるが、ちょうど本日の日経のコラム(?『春秋』という天声人語のマネコラム)で取り上げていたので、対抗して取り上げた。(-_-;)

その『春秋』では、「しょせん流行。(中略)上げ底と言い換えてもいい。(さらに中略)今年は厚底靴を脱ぐ年に、と言いたいが・・・」と、偏差値教育やら、株式市場やらと絡めて、言いたい放題であった。

しかし、「厚底靴を脱げ」と言われても困りものである。だいたい、「流行」と書いておきながら、(たぶん)自分が気に入らないから、強引に終わらせようと考えている。いかんですね、私的感情にまみれたコラムは。しかも、天下の日経なんだから。




この厚底靴も、仕掛け人がいるようだが(テレビ朝日に出ていた)、今年も続くのだろうか。
せっかく去年買ったサンダルがあるから、今年の夏はまだ履きそうだ。
しかし、「所詮は流行」だから、次の仕掛け人のネタがよければ、あっさりと寝返ってしまう可能性もある。

「脱げ」と言われて、「脱ぐ」ものではないにしても、それを見守る周囲(?)も、「いつかは、脱ぐんでしょ」と思っていることは、事実だろう。
でも、「どういうタイミングで脱ぐ」ことになるのかは、考え物である。




厚底のメリットとして、「視界が変わること」がよく上げられている。
確かに、身長の低い人が満員電車に乗るときの息苦しさは、相当なものがあるらしいから(私にはわかりません)、上げ底だろうが、身長が高くなることは重要なのだろう。
しかし、息苦しさの克服だけではなく、私が気になるのが、「目線の高さ」である。

最近の女性は、そもそも身長が高くなっている気がする。
平均身長はわからないが、厚底ブームの前から、なんとなく大きいなと思っていた。
そこへさらに「厚底」である。
仮に、身長160センチとしても、10センチの厚底で、170センチの身長を得ることになる。
男と女の身長差は、ほとんどなくなる。




そもそも人間は、一度高さや大きさを競い出すと、限りはないことは、歴史が証明している。
ピラミッド古墳、などの歴史の遺物だけではなく、高層ビルの高さを競っていることだって、基本的には同じである。
下駄の歯をやたら高くしている天狗だって、人間の妄想が働いているのだろう。
偉いコックになると、やたら帽子が長くなるのは、なぜなのだろう。偉さの証明を、帽子で表しただけなのか。
「高さ」は、「偉さ」につながる。
偉さを、高さで証明したいがために、人間は途方もない高さのものを作ったりする。

最近の若いカップルの会話を聞いていると、「男は情けないな・・・」と思うことがよくあるが、男が情けないのではなく、女が(ようやく)偉くなったのだろう。
その「偉さ」を身にまとってしまった女性たちは、その偉さの幇助品である「厚底靴」を、簡単に脱げるのだろうか。

ヅラ」ほどの問題ではないだろうが、意外と勇気がいるように思う。
もし、「今更脱げない」「脱ぐと背が低いのがばれて恥ずかしい」と思っていたら、なおさらだ。
自分では認識していなかった「偉さ」が、単なる「見栄」になってしまうと、ますます脱ぎにくいだろう。




厚底靴を履いていて、ころんで死んだ女性もいた。
外反母趾などの、健康面の問題もある。
厚底靴をやめる「正当な理由」は、こんなところか。

「安全」「健康」と「見栄」。
厚底ブームが続くのか、去るかは、微妙なバランスの上に成り立っていると思うのである。

※と、人が苦労してコラムのネタを探して、こんなに苦労して書いておきながら、あいつらは案外、「カッタリーからヤメタ」とか言って、あっさりしていやがるんだよな。
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