1999年10月26日から2004年10月12日まで続けたマーケティング的コラムをブログとして復活させました。
大昔に会社の部門報に書いた文章も少々。
正月である。
正月になると決まって、経済団体の「賀詞交換会」なるものが行われている。
要は、新年パーティとともに、「皆さん今年もよろしく」というものなのだろう。
おそらく、サラリーマン社会のひとつの終着点なのだろうか。あれに出席できるということは。
我々のような、営業ばっかりやっている者には、いつになったら、あんな暢気に昼間から酒を飲んだくれて、仕事と称した懇親会をできるのやら・・・と思うばかりである。
私は、あの手のパーティに、テレビカメラが入っているのをみて、みんな赤ら顔で、一見にこやかに談笑しているのをみると、「ああ、高度成長期の遺産だなあ」と思っていた。
思っていたというのだから、今は、少し考えを変えているわけである。
なぜか。
『ビットバレー』をご存知だろうか。
なんてことはない、「渋谷」のことである。
今、流行のネット産業が、渋谷に多く集まっていて、それを「シリコンバレー」に倣って、「ビットバレー」といっているらしい。
確かに、ネット産業こそは、今、時代の最先端を走っており、今後10年くらいかけて、時代の中心へと歩んでくるのだろう。
コギャル、ヤマンバギャルなども含めて、渋谷は最も活気のある街である。
しかし、気になったのは、ある日のテレビで、その「ビットバレー」の住人たちが、やっぱり「懇親パーティ」を開いていたことである。
どこかのクラブでも借りている感じだったが、なんとなく非常にダサく思えてしまった。
「経済団体」なんかの、ホテルでやるパーティと、本質的に何ら変わっていないことに。
どうして、これだけ、時代の先端を走っている奴らが、これから、さらなる地獄を見ざるを得ない重厚長大産業のお偉方たちと、同じ行動でしか「懇親」できないのだろうか。
ネット社会を実現するために、日夜働いている奴らが、結局、飲み会でしか懇親できないというのか。
「懇親パーティ」
一体、どういう効果があるのだろうか。
「顔を広める」「ネットワークを広げる」、よく言われているが、「パーティがご縁で、商談が始まった」とか、「新しいビジネスが生まれた」という話は、あまり聞かない。
なんとなくのイメージとしては、営業一本でのしあがってきた人たちが、「表はニコヤカ、裏ではウッシッシ」という感じで、虚々実々の駆け引きをしているような、「大人の世界」という感じである。
だいたい、そんなパーティで、広がったネットワークを、通常の査定で評価できるのだろうか。
なんとなく、真面目に仕事している人に、恨まれそうである。
「酒を飲みながら、仕事をしている・・・」
「酒を飲むことこそが、仕事・・・」
これでは、都銀が大蔵省を、ノーパンしゃぶしゃぶに連れて行っていたことと、根っこは変わりない。
いや、「接待」ではなく、単なる「懇親」なのだから、企業にしてみると、もっとロングレンジで考えなくてはならない「投資」である。
リターンがいつになるのかわからない。本当にリターンがあるのかも確信はない。
そんなパーティに出席する意味とは何なのだろうか。
もっとも、ビジネスにつながっているかどうかは、合コンやナンパで知り合った男女が、結婚披露宴の新郎新婦の紹介時に、「出逢いのきっかけ」について、事実を語らないことと同じように、世間的には少し気恥ずかしいものであるため、あまり表面化していないだけなのだろうか。
私も、このホームページを作る過程で、ホームページ制作会社の方と仕事をした。
代表の方と、制作担当の方と、一度ずつお会いしただけで、実際に、この「マーケティングタウン」の表紙の絵を描いてもらった人には、「一度もあっていない」。
よく考えてみたら、電話で話したこともなかった。
少し前なら、驚かれるのだろうが、今では(ましてや、こんなホームページを見に来ていただいている方にしてみれば)、全然珍しくないことだろう。
いちいち顔をつきあわせなくても、仕事はできるのである。
それもこれも、すべてEメールのおかげであることは、言うまでもない。
私の本業のマーケティングリサーチについても、仕事をすすめさせていただく上で、納品まで一度も顔をつきあわせて打ち合わせすることないこともある。
「商談の場」は、Eメールの登場によって、劇的に変化している。
でも、「一度は会わなくてはならない」のである。
私が、顔をつきあわせなくても、仕事をすすめられるのは、「お互いのことを、(だいたい)理解している」からである。
「理解し合う」ためには、どこかで一度は、「顔をつきあわせなくてはならない」。
いきなり、初対面の人に、仕事をお願いすることなど、ほとんどありえないだろう。
ましてや、大きな金額の商談ともなれば、なおさらである。
お互いを理解し合った上で、「安心」しなくては、とても仕事にならない。
この「安心」を、お客様から勝ち取るために、営業は日々行われているといってよいだろう。
そして、手っ取り早く安心してもらうには、やっぱり、すでにお客様となった方から、「紹介してもらう」のがよい。
その紹介も、できればオフィシャルな形式よりも、プライベートな感じの方が、お互いの安心感も増す。
つまり、ノミニュケーションである。
さらに、一度に多くのお客様を紹介してもらうには・・・・、やっぱり「懇親パーティ」なのか。
私が、「ダサい」と思った懇親パーティとは、もしかしたら、「究極の省エネ型営業スタイル」なのだろうか。
21世紀を迎え、インターネットが家庭内でも簡単に利用できるような社会になっても、「懇親パーティ」だけはなくならない気もする。
※でも、やっぱり以前よりは、コミュニケーションが下手になってきているから、「成り上がり社長向け 懇親パーティでの恥ずかしくないコミュニケーション方法」なんて、教室ができたりしたら、本当に世も末である。
正月になると決まって、経済団体の「賀詞交換会」なるものが行われている。
要は、新年パーティとともに、「皆さん今年もよろしく」というものなのだろう。
おそらく、サラリーマン社会のひとつの終着点なのだろうか。あれに出席できるということは。
我々のような、営業ばっかりやっている者には、いつになったら、あんな暢気に昼間から酒を飲んだくれて、仕事と称した懇親会をできるのやら・・・と思うばかりである。
私は、あの手のパーティに、テレビカメラが入っているのをみて、みんな赤ら顔で、一見にこやかに談笑しているのをみると、「ああ、高度成長期の遺産だなあ」と思っていた。
思っていたというのだから、今は、少し考えを変えているわけである。
なぜか。
『ビットバレー』をご存知だろうか。
なんてことはない、「渋谷」のことである。
今、流行のネット産業が、渋谷に多く集まっていて、それを「シリコンバレー」に倣って、「ビットバレー」といっているらしい。
確かに、ネット産業こそは、今、時代の最先端を走っており、今後10年くらいかけて、時代の中心へと歩んでくるのだろう。
コギャル、ヤマンバギャルなども含めて、渋谷は最も活気のある街である。
しかし、気になったのは、ある日のテレビで、その「ビットバレー」の住人たちが、やっぱり「懇親パーティ」を開いていたことである。
どこかのクラブでも借りている感じだったが、なんとなく非常にダサく思えてしまった。
「経済団体」なんかの、ホテルでやるパーティと、本質的に何ら変わっていないことに。
どうして、これだけ、時代の先端を走っている奴らが、これから、さらなる地獄を見ざるを得ない重厚長大産業のお偉方たちと、同じ行動でしか「懇親」できないのだろうか。
ネット社会を実現するために、日夜働いている奴らが、結局、飲み会でしか懇親できないというのか。
「懇親パーティ」
一体、どういう効果があるのだろうか。
「顔を広める」「ネットワークを広げる」、よく言われているが、「パーティがご縁で、商談が始まった」とか、「新しいビジネスが生まれた」という話は、あまり聞かない。
なんとなくのイメージとしては、営業一本でのしあがってきた人たちが、「表はニコヤカ、裏ではウッシッシ」という感じで、虚々実々の駆け引きをしているような、「大人の世界」という感じである。
だいたい、そんなパーティで、広がったネットワークを、通常の査定で評価できるのだろうか。
なんとなく、真面目に仕事している人に、恨まれそうである。
「酒を飲みながら、仕事をしている・・・」
「酒を飲むことこそが、仕事・・・」
これでは、都銀が大蔵省を、ノーパンしゃぶしゃぶに連れて行っていたことと、根っこは変わりない。
いや、「接待」ではなく、単なる「懇親」なのだから、企業にしてみると、もっとロングレンジで考えなくてはならない「投資」である。
リターンがいつになるのかわからない。本当にリターンがあるのかも確信はない。
そんなパーティに出席する意味とは何なのだろうか。
もっとも、ビジネスにつながっているかどうかは、合コンやナンパで知り合った男女が、結婚披露宴の新郎新婦の紹介時に、「出逢いのきっかけ」について、事実を語らないことと同じように、世間的には少し気恥ずかしいものであるため、あまり表面化していないだけなのだろうか。
私も、このホームページを作る過程で、ホームページ制作会社の方と仕事をした。
代表の方と、制作担当の方と、一度ずつお会いしただけで、実際に、この「マーケティングタウン」の表紙の絵を描いてもらった人には、「一度もあっていない」。
よく考えてみたら、電話で話したこともなかった。
少し前なら、驚かれるのだろうが、今では(ましてや、こんなホームページを見に来ていただいている方にしてみれば)、全然珍しくないことだろう。
いちいち顔をつきあわせなくても、仕事はできるのである。
それもこれも、すべてEメールのおかげであることは、言うまでもない。
私の本業のマーケティングリサーチについても、仕事をすすめさせていただく上で、納品まで一度も顔をつきあわせて打ち合わせすることないこともある。
「商談の場」は、Eメールの登場によって、劇的に変化している。
でも、「一度は会わなくてはならない」のである。
私が、顔をつきあわせなくても、仕事をすすめられるのは、「お互いのことを、(だいたい)理解している」からである。
「理解し合う」ためには、どこかで一度は、「顔をつきあわせなくてはならない」。
いきなり、初対面の人に、仕事をお願いすることなど、ほとんどありえないだろう。
ましてや、大きな金額の商談ともなれば、なおさらである。
お互いを理解し合った上で、「安心」しなくては、とても仕事にならない。
この「安心」を、お客様から勝ち取るために、営業は日々行われているといってよいだろう。
そして、手っ取り早く安心してもらうには、やっぱり、すでにお客様となった方から、「紹介してもらう」のがよい。
その紹介も、できればオフィシャルな形式よりも、プライベートな感じの方が、お互いの安心感も増す。
つまり、ノミニュケーションである。
さらに、一度に多くのお客様を紹介してもらうには・・・・、やっぱり「懇親パーティ」なのか。
私が、「ダサい」と思った懇親パーティとは、もしかしたら、「究極の省エネ型営業スタイル」なのだろうか。
21世紀を迎え、インターネットが家庭内でも簡単に利用できるような社会になっても、「懇親パーティ」だけはなくならない気もする。
※でも、やっぱり以前よりは、コミュニケーションが下手になってきているから、「成り上がり社長向け 懇親パーティでの恥ずかしくないコミュニケーション方法」なんて、教室ができたりしたら、本当に世も末である。
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